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2011年1月 9日 (日)

月刊フィッシング

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 その昔、釣りの3大雑誌と言えは、月刊つり人、つりマガジン、そしてフィッシングがありました。

 正月に実家へ帰ったら、父親が「この本捨てていいか?」と出してきたのがこれらです。

1984年からの月刊フィッシング。

そう、私が最初に記者、編集マンとして編集部にいたころの雑誌です。

写真もニコンを持って撮りまくっていました。

この頃は総合誌ですから、アユ、ヘラ、イシダイ、ルアー、フライが一緒の本に入っているわけで、今のようにルアーしかやらない人がルアー専門誌を読み、ルアーしか知らない、というものではありませんでした。

釣りがが好きだから、釣り雑誌を読みました。写真を観るのではなく読みましたよ。

それで自分はやらないイシダイや、メジナなどの知識も自然に身に付きました。「へえ~こんな大きなアジがいるのか?」と感心したのは、カッポレと呼ばれていたロウニンアジ、今でいうGTですが、当時、GTという言葉はまだ日本に伝わっていませんでした。

そしてこの写真、見てください。

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あの丸橋英三先生のターポンの記事です。当時は殺してたんですね。

そして当時一番好きだった広告がこれ

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覚えている方は多いと思います。

釣り雑誌にいきなりビキニの女性ですから、若かった私はドキドキしました。

スティールヘッドの記事もありました。「なんだデッカイニジマスじゃんか。この魚のどこがすごいんだ?」とキングサーモンは認めても、スティールヘッドの魅力を記事からでは感じなかった私でした。

開高健さんに初めてお会いしたのも当時のボス、吉本万里編集局長(故人)と一氏に行った記者会見でした。

私は別冊のアングリング、当時は季刊誌でしたが、日本初のルアーフライ専門雑誌の編集部にいました。しかし一番年下でしたので、けっこう「おい奥山!この取材に行って来い!」と様々な取材に行かせていただきました。

イシダイ釣り、シロギスの投げ釣り、そして始めて海外取材はマリアナ諸島のテニアン島での大物釣りでした。

テニアンと言えば、太平洋戦争でサイパンとともに玉砕され、あの原爆の基地になった島です。

懐かしいです。英語も勉強してなんとか取材を成功させて、、、。(本当)

その時見たカスミアジのチェイスがのちに私を南の島へと駆りたてたのです。

(つづく)

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